私の生い立ち
(超暇な人が読むページ)

5. 30歳 たぶん、女として将来を考えた

私は保育園児の頃から、常に好きな男の子がいて、居ない時がいない女でした。 男の人の存在はファザコンの私からすると、尊敬に値する人間でないといけなくて、自分には出来ない何か秀でた才能ある人に惚れました。でも、タイ料理屋で働きだしたら、自分の仕事のほうが面白くて、タイ人の人間模様に忙しくて(笑)恋愛がそれまでとは違ったものになりました。
自覚がなかったのですが、持ち前の動物的感で、「ああ、そうか子どもを産まなくては!」と多分少し焦っていたかな。そして丁度その頃、妻子ある人に恋をしてお店を辞めました。その時に他の仕事をしましたが上手くいかず、同じ頃、、トムヤムは会社の倒産に伴い、会社の手形に入っていたお陰でお店はいきなり閉店したようです。そして私も子どもを産んだものの、恋愛は成就せず終わりました。コックさんはまだ生き残っていた「トムヤム2」のお店に移動になり、そこで働いていました。一緒に働いていた人はほとんど残っておらず、きっと経済のバブルと一緒に、私達のバブルもはじけ飛んだのだと思いました。

31歳 トムヤムのお客さん、永田さんとの再会

子どもを産んだけど、これからどうやって生活していこう?と吉祥寺を自転車でうろついていた時に、偶然、元トムヤムの常連さんで、ITの会社を経営していた永田さんと、道で再会しました。 「アキちゃん今なにやってるの?え?何?子どもが居て動けないから簿記の資格を取ろうと思って勉強してる??あはは・・・それは貴方らしくないね!」・・と笑って、自身の会社がやっているゲームクリエイタースクールのカルチャースクール部門の運営に誘ってくれました。

ゲームクリエイターの学校跡地

その場所が現アムリタ食堂のある場所です。その学校では永田さんの趣味でバリダンススクールやガムランの教室も行っており、ゲームに全く無縁な私もそのアジア繫がりで再就職を果たせたのでした。インドネシアの文化もバリに数ヶ月滞在させてもらったりして、勉強させてもらいました。しかし、ゲームクリエーターの学校も小子化の流れにさからえず、しばらくして閉校してしまったのです。吉祥寺の一等地に空き物件となってしまう建物を手放すのはおしい。永田さんはこう言いました。「アキちゃん、何が出来る?」と。私は「ああ、タイ料理屋なら私でも出来そうだよ」と。その一言二言で、永田さんと共に出資し2002年8月26日、株式会社アムリタを作りました。




1. 生まれたとこ育ったとこ

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4. 19歳 父の影響と父との別れ

5. 30歳 たぶん、女として将来を考えた

6. 昔の仲間を核にして作ったアムリタ食堂