東京から引っ越してきて、何度か引越しし、現在の実家のある場所に落ち着きました。 ここは「亜紀ちゃんの家は動物園」、と近所で噂になる家でした。
ウサギ(1匹)、鶏(1~6羽)、犬(2~6頭)、猫(1)、インコ(2羽)、魚(沢山)、蛇(外から)、アヒル(3羽)・・・・父親の手づくりの小屋、ブラウン管をくり抜いたテレビのリメイクにウサギが住んでいたり、鶏の小屋も廃材を使っていて全て父の手づくりでした。中でも、アヒル3羽を大きな金網の箱(エレベーターと呼んでいた)にのせ、裏の川に下ろしたり上げたりして水浴びをさせるシステムは中々のアイディアでした。そのアヒルは川の上流の八百屋が捨てるキャベツの葉を美味しそうに食べたりして実に無駄がない。アヒルは1日に何時間か川に下りれる時間を楽しみにしているようでした。しかしそのシステムは台風が来た時に、父が不在でエレベータを引き上げ忘れて、それごと流され、3羽は野良アヒルになったという落ちがあります。「亜紀ちゃんちのアヒルを下流で見たよ」という噂もあり、探しに行きましたが見つけられず、夜中にアヒルが鳴く声を聞いた気もしましたが、幻聴かどうか判らず、結局そのまま野生に返ったと思われます。
隣近所は普通の住宅なので、我が家だけが、かなりおかしな家だったという自覚はうすうすありましたが、子どもの頃はそれが私の中で当たり前でした。住宅地から歩いて15分も行けば、相模線という鉄道が見えるのどかな田畑地帯でした。父と母はそこに畑を借りて色々な野菜も育てていました。私は親達の農作業中にモンシロチョウを追いかけ、トウモロコシが出来る様を観察しました。家から畑まで、父と母と私は車で移動していたのですが、犬のリリーやコロは車の後を追いかけて全力で走り、畑までの道のりをついて来ました。友達が指さして言います。
「あ、アキちゃんちは変わったおうち。」
小学生になったある日。印象的な出来事がありました。台風後の用水路にぐっちゃり溜まっていたフナの大群を、友達と一緒にバケツですくって捕まえた事です。百匹以上のフナでした。重いバケツを二人で往復して必死に持ち帰り、我が家の庭にある小さな川に放流した時は嬉しかった。親と一緒ではなく、自分達で考えて出来た事っていうのは喜びがひとしおですね。あの嬉しさは忘れられないです。私は後日、学校から帰るとそこでそのフナを釣って楽しんだり、父の酒のつまみの「フナの甘露煮」を作ったりして楽しんでいました。鍋の中で醤油をたらすとヂッという音と共にフナが硬くなり、甘露煮になってゆく様・・忘れられません。父はそれを酒の肴にして晩酌していました。小学校低学年の話です。
鶏は2種類いて、名古屋コーチン5羽とチャボが1羽いました。名古屋コーチンは本来闘鶏用の鶏なので、雄は特に怖かったですね。フェンスで囲まれた庭で全ての動物が放し飼いだったので、学校から帰る私は毎日飛び蹴りで攻撃され、家の中に入るのに毎日奴との戦いでした。鶏も子どもをナメテかかるんですね。それにくらべてチャボは実に可愛い奴で、面倒見がよく、名古屋コーチンの卵を温めたり、生まれた子犬を温めていたりしていました。のちにこのコーチンは父によって絞められ、肉となりました。またチャボは子犬を温めていた後、その犬が大きくなった時のじゃれあいによってお亡くなりになりました。生の関係性と限界、共存の難しさを間近に感じました。
私は動物と動物の関係性をつぶさに観察するのが大好きでした。 言葉ではないけど、皆が皆、会話をしているようで。
インコ1羽だけは普通に鳥かごに飼われていました。そのインコの名前が風変わりでした。当時の政治家から名をもらい、「三木武夫」、「タケオ!」と呼ばれていました。そして当時飼っていた猫は、「田中角栄」という名前で、「カク!」と呼ばれていました。時々、そのカクが鳥小屋に飛びつくのを見て、「カクエイがタケオを襲った!」とか「牽制してる!」とか政治的時事ネタを入れて、父が嬉しそうに話した事を覚えています。
ちょうどロッキード汚職問題で政界を追われた田中角栄から、内閣が三木武夫になったものの、自民党内がうまくいかず、三木武夫が内閣辞任した辺りの出来事でした。インコのタケオはカクエイに襲われ、籠から逃げていき二度と籠には帰ってはきませんでした。
我が家の庭は、生き物との別れや出会いなどを繰り返しながらも、常に変化していきました。 庭には父の手作りのもので溢れていました。鉄棒やカマド、コンポストトイレがありました。「外のトイレでうんこをしたら10円あげるよ」と言われ、子どもながらに、寒い日でもわざわざ外のトイレを利用し、うんこをするのがアルバイトになっていました。これは畑で堆肥として利用していていました。
あと、飼っていた訳ではないですが、川から蛇(青大将)がよく上がってきては、鶏小屋のヒヨコを飲み込んだり、庭木の手入れをする母を脅かしていたので、ある日父はとうとうナタでその蛇を殺し、輪切りにして七輪鍋でぐつぐつ煮たことがありました。そしてそれを犬に食べさせようとしたら、結果、犬も食わないという状況に「ことわざ通りだなあ!がはは・・」と笑っていて、かなり引いた事件もありました。また、庭のシュロの木の枯れた部分を取り払いたくて、夕暮れ時にその部分を燃やしていたら、暗闇に家事かと近所で通報があり、消防車が来ちゃって、消防士さんに父は怒らる、なんてこともありました。時々意図とは反してお騒がせだった父でもあったようです。